ということもあり? 浅田先生から久々に
「明るいうちにジョギング行こうか」
とお誘いがかかる.
「実は,16年連れ添ったネコが先日死んでしまって..」
16年とは長い年月である.
浅田先生のマシンには猫の写真が貼ってあるものもあったし,よく
「うちのネコは人の感情が分かっている!」
とおっしゃていたし,少なからずボスの研究方向に影響を与えたのではないかと推測できる.
研究室に戻って何気なく新聞を眺めてみたら,福岡伸一が加藤周一について書いた文章が載っていた.福岡伸一は京大時代に理系の作業的な学問内容に「どれも味気のないひからびたもの」を感じ,むしろ文系の学問に惹かれて「ひそかに文系にあこがれ,「文転」の可能性さえ考えるようになった」という.
そんなときに,加藤周一の次の文に出会い,衝撃を受ける.
「私は医学の研究室で暮らしてきたにも拘らずではなく,まさにその故に,研究室を離れることを考えるようになった.しかし私が医を排するにいたったのは,多忙に堪えなかったからだけではない.医学の研究は,また専門家の極端に進んだものである.(中略)しかし極端に専門化した領域では,私一人の人生と研究の内容との間に,どういう橋渡しをすることもできない.おそらく詩作に没頭するのは,学問の研究に没頭するのとは違うだろうし,李杜の詩の内容は,李杜の人生の他にはなかったはずであろう.私は詩を必要としていたと言えるのかもしれない.」
福岡伸一はこの文章を読んで,「自分が踏み出した場所に,分相応の穴を掘ろうとだけ思った.(中略)いつかたゆまず掘り進められたその穴が十分な進度に達したとき,何らかの水脈に触れるだろう.それは(筆者が理系に進学を決めるきっかけとなった)ファーブルの,あるいはベルヌの詩とつながっているかもしれない.」と思う.
文章からいうと文転さえしてしまいかねない内容と思うのだけど,進み始めた道を究めるという決心にたどり着くところはさすがだなぁ.僕ならせいぜい酒飲んでくだまいてるだけでしょう.
ロボットというのは,幸い「極端に専門化した」というよりは,ある程度総合的学際な側面を持つ領域なので,他の分野とは違った面白さがあるのだけれど,逆に広く浅くになってしまいがちな感じを持つこともある.いわんや,「自分の人生」への橋渡しなど,とてもできるような段階ではない.なんとか,分相応な穴を掘って行きたいものである.
加藤周一の
「私はあるとき友人に別れた後で,ニューヨークから北上する鉄道の窓際の席に坐り,ぼんやりと外の景色を眺めていた.日はすぐに暮れかけていて,木立は黒く見えた.すると突然,大きく広がった森の木々の先端を,夕日が刷くように赤く染めだした.黒い森の広がりの上に重ねての燃えるような深紅の平面,その束の間の光景を凝視しながら,私は同時に別れてきたばかりの友人の顔を,あたかも彼女が目の前にイルカのように鮮やかに思い浮かべた.その瞬間に私は彼女の側にいた,と同時に,しかしその瞬間がたちまち過ぎ去るであろうことを,はっきりと意識していた.二度と繰り返されない,かけがえのない,瞬間の経験.その密度は長い年月の重みとも釣り合うだろう.」
という文章をひいて,
絶え間ない消長,交換,変化を繰り返しつつ,それでいて一定の平衡が保たれているもの.それは恒常的に見えて,いずれも一回性の現象であること.そしてそれゆえにこそ価値があること.生命現象を,あるいは世界を,そのようなものとしてとらえようとようやく気づいた私にとって,加藤周一はいつもはるかに遠い.
と書く福岡伸一.うーむ.評するも人,評さるるも人,ってやつですなぁ.
この最後の福岡伸一の言葉は,ロボットを作っていく,あるいは赤ちゃんのモデルを作って行く上においても重要で,まだどうつなげてよいのかすぐには分からないところで面白いところだ.生命的な生々しさ(単なる見かけの生々しさではなく,蠢蠢とでもいうようなもの)というものがロボットでは欠けているというところは,同意するところで,モデルを作っていても苦しいところ.(だからこそ,東北大の石黒先生の研究が評価されるんでしょうね)
そういえば,昨年でた研究会で東大の池上先生が最近,油滴にはまっていることを知ったけど,これなんかも,生命ではないんだけど動的平衡をどうとらえるべきか,というところで注目されているんでしょうね.こういった平衡性をボトムのシステムとして持たないロボットが,どう生命っぽくなれるか,あるいは,なれないのか,というところは最近ちょっと気になるところです.
浅田先生の家では10何年ぶりにネコの活動のために傷んだ畳や障子を新しくし,いろいろな意味で切り替えのときなのだそうです.プロジェクトも中間評価を迎え,私にとっても,親しかった同僚も去り,新居に引越をし,FK様は就職活動をし,Nグラ君は明後日の修論締切なのにシミュレーション回ってる,といろいろな意味で新しい転換の時期なのだと感じる春先でございましたよ.
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