2009-02-25

[Life] 手紙?

最近ボスがカラオケで,はまっている曲がある.
アンジェラアキの「手紙」.




ボスは「十五」をひっくり返して,「五十の僕には誰にもはなせない 悩みの種があるのです〜」と歌う.ちょっと重すぎて「えっ,リストラが言いにくいですか?それとも?」と,まともに聴くことができないです.

15というのは,もう何十年も前の経験であるけど,やっぱり,そのときというのは特別なのかもしれませんね.20年後の自分でも,その何年後から見たらどうなのかと思うけど,でもやはり,中学生というのはちょっと特別な時期かなあ,と.ある意味,一番純粋な時期なのかもしれないすね.
十何年前に母親が中学生相手の塾をしていたことがあり,あるとき「なんで,そんな一番扱いが難しいときを相手にするんかいな」と言ったことがあるけど,「中学生が,一番純粋で一番おもろい」なんていう答えが返ってきた.そのときは,言うことを聞かない中学生に手を焼いていたので,とてもそんな気になれなかったので,そんなもんかいな,と思ったけど,分かりのよい(ある意味よすぎる?)学生さんを相手にするようになった今ではそういうのも,ちょっとだけわかるような気もする.

中学生のころの純粋な勢いは,その後の社会の洗礼を受けて,だんだんとフツーになっていくのだろう.
さて,ちょうど今,卒論・修論の発表練習ということで,「そんなんいわれてもわからんへん」などと,洗礼をする方をする方になっているのだけれども,願わくは,勢いを殺さないようにしたいものである.

十五の自分への手紙?
ちょっとまだ生なましすぎてまだ無理っす.

2009-02-24

[News] スローモーション赤ちゃん

wired から

スローモーションだと怖い,赤ん坊の動画

まぁ,怖い?と思わせるのは声なんだろうけどねぇ.

そういえば,以前岡ノ谷先生の講演で,クジラの鳴き声も時間スケールを合わせてスペクトログラフで見てみたら,
トリの鳴き声や赤ちゃんの鳴き声と似ている,というようなことを聞いたことがある.

それを思い出して,クジラの鳴き声を探してみると
イルカやクジラの鳴き声を聞いてみよう
というページがありました.

このなかの下の方にある
ザトウクジラノソング
ですね.

うーん,似ているか?
上の赤ちゃんのものは笑っているときのものなので,ちょっと特殊かなぁ.
笑うのは人間だけっていうしなぁ.

2009-02-23

[Research] anticipation の血流

nature に載っていた最近の記事


"Neuroimaging: Interpreting the signal"
Leonie Welberg
Nature Reviews Neuroscience 10, 166 (March 2009)

Yevgeniy B. Sirotin & Aniruddha Das
"Anticipatory haemodynamic signals in sensory cortex not predicted by local neuronal activity"
Nature 457, 475-479 (22 January 2009)


fMRI で観察される信号には,神経細胞の活動だけではなく,神経細胞の活動には相関を持たないタスクの anticipation に関連した血流の増加によるものも含まれているという研究.

神経活動と血流量の関係というのは,当たり前に相関しているものとばかり思っていたけど,
確かに,その間には,様々なプロセスが関連しているからねぇ.
神経細胞が活動したから,使ったエネルギーを補給しなければならない,というのは分かるけど,
それがなんで血管を広げる?などの効果をもたらすのか,というのは,不思議ですなぁ.

ましてや,今回の研究結果が示すように,タスクに合わせて前もってエネルギーが必要そうな
ところの血流を増やしておく,なんていうことになると,どこに記憶機構などを持たせておくのだろう,
と思ってしまう.

2009-02-14

[Life] 春への予感

昨日降った雨もやみ,今日は寒さも緩んで春の気配という感じだ.
ということもあり? 浅田先生から久々に

「明るいうちにジョギング行こうか」

とお誘いがかかる.


「実は,16年連れ添ったネコが先日死んでしまって..」
16年とは長い年月である.
浅田先生のマシンには猫の写真が貼ってあるものもあったし,よく

「うちのネコは人の感情が分かっている!」

とおっしゃていたし,少なからずボスの研究方向に影響を与えたのではないかと推測できる.


研究室に戻って何気なく新聞を眺めてみたら,福岡伸一が加藤周一について書いた文章が載っていた.福岡伸一は京大時代に理系の作業的な学問内容に「どれも味気のないひからびたもの」を感じ,むしろ文系の学問に惹かれて「ひそかに文系にあこがれ,「文転」の可能性さえ考えるようになった」という.
そんなときに,加藤周一の次の文に出会い,衝撃を受ける.

「私は医学の研究室で暮らしてきたにも拘らずではなく,まさにその故に,研究室を離れることを考えるようになった.しかし私が医を排するにいたったのは,多忙に堪えなかったからだけではない.医学の研究は,また専門家の極端に進んだものである.(中略)しかし極端に専門化した領域では,私一人の人生と研究の内容との間に,どういう橋渡しをすることもできない.おそらく詩作に没頭するのは,学問の研究に没頭するのとは違うだろうし,李杜の詩の内容は,李杜の人生の他にはなかったはずであろう.私は詩を必要としていたと言えるのかもしれない.」

福岡伸一はこの文章を読んで,「自分が踏み出した場所に,分相応の穴を掘ろうとだけ思った.(中略)いつかたゆまず掘り進められたその穴が十分な進度に達したとき,何らかの水脈に触れるだろう.それは(筆者が理系に進学を決めるきっかけとなった)ファーブルの,あるいはベルヌの詩とつながっているかもしれない.」と思う.

文章からいうと文転さえしてしまいかねない内容と思うのだけど,進み始めた道を究めるという決心にたどり着くところはさすがだなぁ.僕ならせいぜい酒飲んでくだまいてるだけでしょう.

ロボットというのは,幸い「極端に専門化した」というよりは,ある程度総合的学際な側面を持つ領域なので,他の分野とは違った面白さがあるのだけれど,逆に広く浅くになってしまいがちな感じを持つこともある.いわんや,「自分の人生」への橋渡しなど,とてもできるような段階ではない.なんとか,分相応な穴を掘って行きたいものである.




加藤周一の

「私はあるとき友人に別れた後で,ニューヨークから北上する鉄道の窓際の席に坐り,ぼんやりと外の景色を眺めていた.日はすぐに暮れかけていて,木立は黒く見えた.すると突然,大きく広がった森の木々の先端を,夕日が刷くように赤く染めだした.黒い森の広がりの上に重ねての燃えるような深紅の平面,その束の間の光景を凝視しながら,私は同時に別れてきたばかりの友人の顔を,あたかも彼女が目の前にイルカのように鮮やかに思い浮かべた.その瞬間に私は彼女の側にいた,と同時に,しかしその瞬間がたちまち過ぎ去るであろうことを,はっきりと意識していた.二度と繰り返されない,かけがえのない,瞬間の経験.その密度は長い年月の重みとも釣り合うだろう.」

という文章をひいて,

絶え間ない消長,交換,変化を繰り返しつつ,それでいて一定の平衡が保たれているもの.それは恒常的に見えて,いずれも一回性の現象であること.そしてそれゆえにこそ価値があること.生命現象を,あるいは世界を,そのようなものとしてとらえようとようやく気づいた私にとって,加藤周一はいつもはるかに遠い.

と書く福岡伸一.うーむ.評するも人,評さるるも人,ってやつですなぁ.

この最後の福岡伸一の言葉は,ロボットを作っていく,あるいは赤ちゃんのモデルを作って行く上においても重要で,まだどうつなげてよいのかすぐには分からないところで面白いところだ.生命的な生々しさ(単なる見かけの生々しさではなく,蠢蠢とでもいうようなもの)というものがロボットでは欠けているというところは,同意するところで,モデルを作っていても苦しいところ.(だからこそ,東北大の石黒先生の研究が評価されるんでしょうね)

そういえば,昨年でた研究会で東大の池上先生が最近,油滴にはまっていることを知ったけど,これなんかも,生命ではないんだけど動的平衡をどうとらえるべきか,というところで注目されているんでしょうね.こういった平衡性をボトムのシステムとして持たないロボットが,どう生命っぽくなれるか,あるいは,なれないのか,というところは最近ちょっと気になるところです.


浅田先生の家では10何年ぶりにネコの活動のために傷んだ畳や障子を新しくし,いろいろな意味で切り替えのときなのだそうです.プロジェクトも中間評価を迎え,私にとっても,親しかった同僚も去り,新居に引越をし,FK様は就職活動をし,Nグラ君は明後日の修論締切なのにシミュレーション回ってる,といろいろな意味で新しい転換の時期なのだと感じる春先でございましたよ.

2009-02-12

[News] そっくりウェルカムロボット

Wired から

「所有者の顔と声を持つ日本の人形」と、怖いロボットいろいろ

 自分の写真と数千ドルを日本の企業「リトルアイランド」に送付することで、自
 分自身の小型版人形を手に入れることができる。声も自分自身のものだ。関連し
 て、「怖いロボット」をいろいろご紹介。

こんなサービスをしてくれる会社があったとは!

これでグロ先生と同じ気持ちになれるかもしれない.
でも,結婚式で自分とそっくりなウェルカムロボットがクネクネしていたら,
ちょっとゾッとするなぁ.
自分そっくりだと捨てにくいし..
やっぱりかわいいクマとかウサギとかの方がよいんじゃないのかなぁ.


ちなみに,怖いロボットいろいろで,我がプロジェクトのロボットが写真付きで紹介されていてびっくり

ほんとうに怖い、生きているような子供型ロボット

「本当に怖い」って...(笑)

2009-02-11

[News] 不正確だけど速くてエネルギー少ない

スラドに
確率的コンピューティングでパフォーマンスをブースト
なる記事が紹介されていた.

なんと,柳田先生のゆらぎプロジェクトで目指しているものではないですか.
がんばれゆらぎプロジェクト!

こういうチップでロボットのプログラムをすると,やはり全然これまでのアルゴリズムとは
全く異なる発想が必要になるんでしょうね.

1+1=2のような四則演算を正確にすることは
生物には難しいのだけど,コンピューターには簡単で,
その正確なコンピューターを使って生物の知能を作る過程は
ちょっと矛盾しているんじゃないかと思うこともあります.

例えば,歩行のコントローラーをつくるために,CPGモデルを
つくるときにでも,非線形モデルを使った CPG モデルはリズム調節が
できるからよいのだけど,それをマイコンなんかで組もうとするなら,
最初からついているタイマーの機能を使ってしまった方が簡単にできるんじゃないか,とか.

ヒトの認知機能もノイマン型コンピューターをもとにつくる,ということになるから
なかなかパフォーマンスが設計者視点で作ったものに勝てないんじゃないか,とか.
(ちょっと言い過ぎか?)

確率的なプロセッサがでてきたときに,すぐに適用できるようなアルゴリズムを
考えていかないとあかんのやろうなぁ.

2009-02-10

[Life] 就職と理想?

HK様は就職活動まっただ中である.

「今年は不況で厳しいです!」

と,なかなかたいへんそうである.


「あかんかったら,海外に逃亡するのもえぇんちゃうか.」

などと無責任な発言をしてみる.

「あーあ,お金があったらねぇ.
 行ってみたいのはコートジボワールですよ.
 コートジボワールには白い家があって,
 道にオレンジが植えられていて,
 勝手にとって食べられるそうですよ.」
(チェニジアだったかも?)

そんな天国のようなところ行ってみたいのぅ.
と思って後でコートジボワールを調べてみたが,結構内戦が激しそうで怖いところではないか.

「親も,「いざとなったら,お金持ちを見つけたらいいのよ!」
 とか言うんですよ.なんちゅう親でしょうね.」

まぁ,でも結構その自由さがよいと思うのだ.

サボリ流の森毅も言ってたと思うけど,
男性はなんとなく「家族を養って行かねば.」という発想が根にあって,道から外れたことをせずに,無難なことをしがち.小さくまとまってしまうんだろうね.
一方,女性は「最後は結婚したらいいのよ」と,自分のやりたいことに忠実に活動するので発想が自由で柔軟.
まぁ,男性,女性というわけじゃないだろうけど,将来のために逆に今の活動の柔軟性が制限されてしまうというのは,目的が逆転してしまっているのかもしれませんね.

というわけで,HK様には元気が出るように「チャンネルはそのまま」(佐々木倫子)を渡す.
「バカ枠」を目指せ!


こういうテーマというのは,たぶん普遍的なものなのだと思う.
先日,難波で嫁様(予定)を待っている間に映画の予告編が目に入った.

「私にも理想があったわ.あなたにも..」
「家族を持って子どもができた瞬間人生を諦めるというバカげた幻想・・・
 そんなの嘘よ.」

思わず見入ってしまう.以下の予告編

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

なんだか,家族を持つって怖いよなぁ,と思った瞬間に,嫁様(予定)が

「待った?」

と現れた.ちょっと,ヒヤリとした.

2009-02-05

[Life] 節分

昨日は節分.
昨年は節分の日は体調を崩して休んでしまった.
せっかくFK様が豆を買ってきてくれていたのだが,
それは使われず1年間私の机の上で放置されていた.
1年後に再び使われることを想定して...

そして待ちに待った今年の節分.
残念ながらFK様は就職活動で不在.
周りを見渡しても皆忙しそうで,ちょっと「豆まきをしよう!」
とは言い出しにくい雰囲気である.

と思ったら,いましたいました.



マIさん,どこでみつけたのかジャスコのチラシをディスプレイに拡大して,
お買い得品を調査中です.

キネマディスプレイを縦置きにして,なんともすごい使い方であるが,
なんでも,この方が「論文モ読ミヤスイシ,プログラムノソースモ読ミヤスイ.」のだそうだ.
フランス人の発想はすごいですな.

鬼のお面を携えて,マIさんに

「このかわいいお面をつけてください」

というと,

「私,鬼ジャナイヨ」

と無下に断られる.

今年はノリのいいのがいないからだめか..と諦めていたが,
夜中になり,夜中組がファイアー

「ぜひやりましょう!」


そして,ようやく私も鬼役から引退することができました.



鬼役を引き受けてくれたS水君.
元気がいいぞ!

さすがは夜組.何事にも真剣である.
容赦なく力一杯豆を鬼に投げつけ,鬼も研究している人をバシバシ叩き,
叩かれた人は鬼に報復するために追いかける.
すごいものである.

来年は,お多福のお面も作りたいものである.

節分の豆まきが終われば,春はもうすぐそこである.

2009-02-03

[Life] 悠々として急げ

さて2月になってしもうた.
学生さんもそろそろ正念場.
こっちもプログラムを早く書き上げねば.
と思ったら,学生さんいない...

学生さんに合わせて生活をしていたら,
だんだんと夜型にシフトしてしまい,
追い越して,こっちだけ超夜型になってしまったようだ.

最近は帰りのラーメンだけが楽しみなのだが
ラーメン屋の開いている時間に帰れずに
開いているのは,「なか卯」だけなんて日も.
うーむ.人間としていかがなものか.

まぁ,よいか.
「悠々として急げ」(開高健)
昼間悠々とやってきて,夜に活発にデバッグ.
っていう意味ではないのだろうな.やっぱり.

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