2011-10-21

子どもとIT

我が家にも iPad があるのだが, 5ヶ月の息子と一緒に見ようとすると嫁様が激怒する.
「変な影響があったらどうすんの!」
そんな大げさな.. とか思っていたら,スラドに 「米国小児科学会曰く「2 歳以下の乳幼児の TV 視聴及びコンピュータ使用時間に制限を」」 なる記事が紹介されていた.
米国小児科学会は保護者らに向け、2 歳以下の乳幼児の TV 視聴時間を制限するべきとの提言を発表したそうだ (The New York Times の記事、本家 /. 記事より) 。この提言は更にコンピュータ端末使用時間、「教育的」と謳っているゲーム、また大人向けの TV 番組をつけておくことも制限すべきとしている。
そのコメント欄に紹介されていた以下の動画は,けっこう衝撃的だ. A Magazine Is an iPad That Does Not Work.m4v 「おかしいなぁ,なんで,このページは指で大きくなったり小さくなったりしないんだろう?」 と感じているのかな. 是非はともかく,iPad は確実に彼の世界に対する見方を変えているのだなぁ. でも,大昔にはなかった車や電車にも既に乗せているし, IT 関連だけが,悪影響を及ぼすということはないと思うんだけどなぁ. 自分の息子でも試してみたいのだが,上の動画のような行動を息子がし始めたら 嫁様に撲殺されることが予想されるのでやめておこう.

2011-10-12

[N] 自分自身のユニフォーム

Apple Linkage より スティーブ・ジョブズ氏がなぜ黒のタートルネックを着ていたのか
9 to 5 Macでは、スティーブ・ジョブズ氏がウォルター・アイザクソン氏著の「スティーブ・ジョブズ」で、黒のタートルネックを着用している理由について触れていると伝えています。 1980年代前半に日本に旅行した際に、ジョブズ氏はソニーの盛田昭夫会長になぜソニーの工場の従業員は皆ユニフォームを着ているのか尋ねた。彼はジョブズ氏にこう答えた。戦後、服を持っている者がいなく、ソニーのような企業は従業員に毎日着るものを支給する必要があった。そして年月を経て、とりわけソニーといった企業で、ユニフォームが独自の特徴的なスタイルに発展し、従業員を会社に結び付ける手段となった。「私はAppleにもそのようなきずなが必要だと判断した」とジョブズ氏は当時を振り返った。 ソニーはデザイナーの三宅一生氏に、袖を取り外してベストにもなるユニフォームをデザインしてもらっていたため、ジョブズ氏は三宅一生氏に電話してAppleのベストをデザインしてもらうよう依頼したそうです。ジョブズ氏はサンプルを数点持って帰ってこのベストを着ようとみんなに話したそうですが、受け入れられなかったとのことです。 そんな中、ジョブズ氏は三宅一生氏と友人になり、定期的に会うようになったとのことです。ジョブズ氏は、日常的にも便利で、特徴的なスタイルを表現することもできることから、自分自身のユニフォームを作るという考えに引かれるようになったそうです。そのためジョブズ氏は黒のタートルネックを三宅一生氏に作ってもらったとのことです。インタビュー中、ジョブズ氏はウォルター・アイザクソン氏に黒のタートルネックが積み重ねられたクローゼットを披露し、「一生着るのに十分なほど持っている」と話したそうです。
そういえば,グロ先生もいつも同じ黒服だな.

[Life] 人魚のSPをする

先日の連休は体育の日ということで,どこの小学校,幼稚園でも運動会が行われていたようだ. 息子の通っている(というより預けている)保育園でも, 近くの小学校を借り切って運動会が行われた. とはいえ,まだハイハイもできない0歳児のモモ組である. 親が抱いて踊るというような出し物になった. こういうのは母親がやるんだろうな,と思っていたら,
「出し物は,海賊が永遠の命を得られるという人魚の涙を探しにいく,  というストーリーになっていますので,お父さんは人魚のSPをやってください」
と頼まれてしまった.もう少しで人魚役になるところであったが, それはなんとか他のお父さんになってもらえた. (人魚役もまんざら悪い気もしない訳ではないが...) 嫁様は海賊役,私はSP役ということで当日を迎えたのだが, 他のお父さんも黒ずくめにサングラスでイカツイこと..
なんとか,直前の練習で台詞を覚え, 情感たっぷりに叫ぶのであった.
「あれが伝説の人魚の涙だよ!」
息子は何も分かっていないし,後で何も覚えていないだろうが, 親が大はしゃぎの運動会デビューであった.

2011-10-11

[LIfe] ありがとう Steve Jobs

思えば,私のコンピュータ体験は大学に入って Next コンピュータに触れたときに始まった. そのときは,Next がどれほど特別なコンピュータか分からなかったのだが, そのグラフィクスの美しさに感銘を受けたものである. 大学には Mac もあったが,とても Next にはかなわないように思った. なんとか手に入れられないかと思って,調べ始めると 貧乏学生には手が届かないほど高いものであるということをすぐに悟った. そして,それが Apple から独立した Steve Jobs なる人物が 作ったものであることも,そのとき知った. 大学の研究室に配属されると,生物系だったので 主に Mac が使われていた. Sun や SGI のコンピュータもあり, 古い部屋には VAX だったかな?歴史的なコンピュータも置いてあった. (vt100 の端末がある!と思ってびっくりした覚えがあるような) どうしても自分のコンピュータが欲しくなって, なけなしのバイト代をはたいて, フロッピーのない PowerBook Duo 230 という機種を購入した. それが私の初めてのコンピュータだった. 何をするにもネットワーク経由で, 今思えば,MacBook Air に通じるものがあった. このコンピュータは長い間よく働いてくれたのだが, あるとき OS をネットワーク越しに更新している最中に 線が抜けてしまってOS を再インストールする手段がなくそのまま死んでしまった. そのときのどうしようもなく悲しい気持ちは今も覚えている. ほんとにアホだったな. それ以来,Mac をずっと使ってきた. MacOS 9 で Mac が打ち止めになり, Steve Jobs が Apple に戻ってきて MacOS X の preview 版を Next を思い出しながら,どきどきしながら使ったり.. G3, G4, G5 そしてインテルへの突然のCPU の方向転換.. Steve Jobs が Apple に戻ってからの彼の活躍の時代は 大学から院,ドクター,研究員,助手と研究人生を歩んできたのと ちょうど重なるんだなぁ.ずいぶん長く Mac にはお世話になっている. 振り返ってみれば,研究費で自分のコンピュータを買えるようになるまでは, かなりのお布施を自腹で支払ってきたが,それは一つにはデザインに 感化されてしまったからなのだろう. それも彼が大学を中退したときに単位に関係なくもぐりで受けた授業で 聞いたカリグラフィーの話に始まったと聞くと, 偶然を引き寄せる直感のすばらしさを感じてしまう. PowerBook Duo の小さな画面を見ながら,Next のような美しいグラフィクス環境が ノートパソコンで実現するような時代は来るのだろうかと思っていたことを思い出したが, 今まさに,それが実現している MacBook Air でこの駄文を書いているのだ,と思うと 「あぁ,あのとき願っていた未来は,今なんだな」と少し幸せを感じる.

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