「この研究はぜんぜんまだまだなんですが...」
などと口を開けばスラスラとマイナスなことばかり言うので,そのあたりが心配である.「謙遜は必ずしも美徳ではないのだよ、キートン君」私もマイナスばかりで,肝心の伝えなければならないポイントをうまく伝えていないことがよくあるので,自分のことのように心配である.
「マイナスを一回言うごとに100円」
「プラスを3回行ったらマイナスを1回言ってもいいことにする」
などとアドバイスもしてみるのだが...
そこで,「研究なんてもんは自分のせいじゃないんだから,淡々と話せばよいのだ.悪い場合は研究自身が悪いのであって自分が悪いのではないのだ!」などと,責任転嫁を唱えてみる.
そんなとき坂口安吾の「堕落論」に
政治の場合において,歴史は個を繋ぎ合わせたものではなく,個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し,歴史の姿において政治もまた巨大な独創を行っているのである.
とあるのを見つける.
研究もまたしかり.商売もまたしかり.アイディアや組織がその時代の中で生き抜くことができるかどうかは,個人ではどうにもならないところもあるだろう.
宿主が悪けりゃ宿主を変えるまでよ.
人工生命の本に生物の定義は「自己複製をするもの」という定義があったけど.アイディアや組織のようなものに「生物」を感じる場合は,自己複製というよりは「自己保存」の方に生命らしさを感じているんでしょうな.「自己保存」という点から,研究分野を見てみるのも面白いかもしれない.
「ミームを残すよりもジーンを残せ!」
細D先生がことあるごとに強調するように,ミームの自己保存はミーム自身にがんばってもらえばよいのだ.
あぁ,堕落万歳.
堕ちるところまで堕ちてやるぜ!
ん?
だが人間は永遠に堕ち抜くことはできないだろう.
...
堕ち抜くためには弱すぎる.
人間は結局処女を刺殺せずにはいられず,武士道をあみ出さずにはいられず,
天皇を担ぎ出さずにはいられなくなるだろう.
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し,自分自身の武士道,
自分自身の天皇をあみ出すためには,
人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ.
(「堕落論」(坂口安吾))
自分のミームを作るためにゃ正しく堕ちることが必要?
堕ち方にも正しい方法があるってことですか...
自分のミームを作っちゃって一体化してしまったら,
天才的科学者が没すると科学自体も衰退するなんてことになるんでしょうね.
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