次の本の候補は「哲学する赤ちゃん」
というのも,ブログ界でウルサい?おじさんであるという評判の経済評論家池田信夫氏が
「無垢な子供という神話「哲学する赤ちゃん」」
で取り上げていたり,それに関連して斜めから世間を論じることで定評の?雑談の達人が
「赤ちゃんは行動を分類しない.「楽しく生きる」ことで一貫している」
で取り上げられていたから.
大人は「徹底的に類型化」して世界をとらえ「単調で退屈な時間を延々と過ごすよう強制されている」のに対して,赤ちゃんは類型化せずに経験を楽しみ「毎日が楽しくて仕方がない」感じであるというのは,なるほどな,という感じである.まぁ,いまのところ研究では経験からどういう表象が出来上がっていくか,マッピングができあがっていくか,というはなしばかりしているのだが,それと動機や感情を結びつけた研究はまだほとんどされていないように思える.このあたりを考えていくとなかなかおもしろいんじゃないかな.
一方で,
ゼミで学生さんの研究を聞いたりしているときにも,ある程度研究を知ってくると,「あぁ,そのトピックはXX大学のOOさんのグループがもうやっているよ.」などと,知ったかぶりを披露して,学生さんのやる気をくじくようなことを言いがちであるが,そのように類型化することによって,知っている側はトピックの中に潜むおもしろさ自身を見過ごしているのかもしれない,と反省してしまう.よく知ることは,一方でそのものをそのままに見る目を失っていくことになるのかもしれない.純粋な目を失いたくないものである.アワビを食べないと.
「無垢」というので,思い出したが,
今まで読んでいたピンカーの本でも「人は空白の石板(ブランクスレート)か?」という問いに対して,
ある程度の生得性を考えないといけないよね,ということを主張されていた.池田氏は,この本では
大人は幼児という白紙に知識を書き込んでいくのではなく、無秩序で豊かな子供の想像力を社会の秩序という「型」にはめていくのだ。
ということを言っていると書いているが,はたして?
統計学習と生得の間にどのような橋渡しが可能になるのか?楽しみに読んでみることにしよう.
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