2011-02-11

[Life] プログラムのための認識能力

そろそろプログラミングの授業の成績をつける頃になってきた.
今年のプログラミングの授業は2回目なので,少しは学生さんのことを余裕を持ってみることができるようになってきた.
なかなかおもしろい学生さんがいた.
同じように見えていても,キャラの立つ学生さんはいるものである.

ある学生さんは,机の上に鉛筆で図を描きながら,
「ここの部分なんですけど..」
と質問してくる.
こらっ,机に落書きするんじゃない!
本人はまったくあくびれた様子も無く大まじめなのである.

別の学生さんは,ほとんどプログラムのことが分かっていない
ような感じで,本当に基本のところから質問してくる.
「悪いけど,あんたにすべての時間を割くことができないから..」
とTAに任せるのだけど,全く臆せずに
「せんせ〜,全然わかれらへんね〜ん」
と,いつも尋ねてくる.
まぁ,そういうできない学生さんほど記憶に残ってかわいらしいものなんだけど.
でも,難しい大学入試を突破できるくらいの資質を持っていながら,
基本的なCのプログラムがよくわからない,ということがあるのだろうか,
ということが気になってくる.
(まぁ,教え方が悪いんだろうけどね)

そういえば,学生の心理の問題についての教員向けの説明会に行ったときに,
情報工学関連の先生が,

「プログラムについて丁寧に教えても,そして本人が真面目にやっていても
 全くプログラムができない学生がいるんですが,
 そういう学生も,どこかの脳の部位に損傷のある
 何かの疾患と考えるべきなんでしょうか」

と質問していた.

ともすれば,すべての人がここまで説明すれば身につけることができると
思って教育をする訳なんだけれども,認識の仕方というのは人によって
千差万別で,その認識の仕方によってある種の考え方や技術を習得すること
がとても難しい,なんていうことまでは考えないよね.

ファインマンの中で,心の中で時間をカウント
(1分経ったら教えてください,というタスク)するのに,
視覚的に数字が増加していくことを利用している人も入れば,
音でカウントすることを利用している人もいることを紹介している.
前者の方式の人は,音楽を聞きながらでもカウントできるけれども,
文章を読ませるとできなくなるのに対して,後者の方式の人は
音楽を聴くとカウントできなくなるけど,文章を読みながらでも
カウントできる.

同じようなことは,専門分野の話でもあるだろう.
入試を突破するのには,いろんな認識の方法が利用されているけれども,
それが,ある専門分野では認識の違いが明らかになる,なんてことはありそうだ.

まぁ,私のしては,その学生さんが自分なりのプログラムの理解をする方法を
見つけてプログラムを習得してもらうのを期待するだけだけど.
(その学生さんは,最後まで,「テストなにでるんですか〜」と
 尋ねて回っていたけど.まぁ,それも戦略の一つではあるか...)

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