トイレ文庫で「46年目の光」を読んでいる.
ちょうど半分くらい来たところ.
タイトル通り,幼い頃に事故によって目が見えなくなった人が
手術によって目が見えるようになるお話なのだが,
前半部分は,主人公がいかにして手術をすることを決断するようになったか
ということが半生を交えながら詳しく述べられている.
こういう部分は,認知科学的な機能への興味しかない人にとっては
退屈かもしれないが,もし自分ならどういう生き方をしただろうか,
ということを考えると,一般的な話としてもとても面白い.
例えば,主人公の友人は30代で視力を失ったが,
「ものごとを正しく理解する能力さえあれば,なんとかなる」
と,希望を失わずにやっていくことを決意する.
この言葉は,最悪の状況に陥った,どの人に対しても
勇気を与えてくれる言葉だろう.
目が見えるようになった人の記録では,
ほとんどの人が,その後「見えないままの方がよかった」と
不幸に感じている人も多いそうである.
そういう記録を読んで,手術を踏みとどまる人も多いという.
また,現在の技術では,手術の失敗によってわずかな光さえも
感じる能力を失う危険があったり,移植の拒絶反応を抑える薬による
発がん性の危険があったりと,様々なデメリットも有り,
光をとりもどすという話は早々単純な話ではないことも
詳しく述べられている.
前半部分には主人公の人生に対する態度が述べられているが,
様々な現在のメリットを失ってさえも,新しいことにチャレンジする
という個人の哲学があるからこそ,手術を決意できたのだということがわかる.
本来,認知機能というものは,新しいものごとを「知りたい」とか
そういったものと不可分であるはずで,単なる認知機能の再生にとどまらず,
その裏にある部分まで知ることができるという点で,この本は面白い.
明日から,いよいよ目が見えるようになる後半開始.
0 件のコメント:
コメントを投稿